ケータイ小説をめぐる論考は、今年春ごろから大きく盛り上がり、刊行書籍もたくさん刊行された。中でも出色は速水健朗氏の
『ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』(原書房)で、ケータイ小説のブームを地方のヤンキー文化の復権としてとらえてきわめて秀逸だった。二〇〇五年の大ベストセラー『下流社会 新たな階層集団の出現』(光文社新書)が描いたジモティ(地元民)の延長線上に、ロードサイド文化の出現を描いたその視点は斬新で、いまや日本の文化はロスジェネ空間とロードサイド空間に二分されつつあるのではないかという印象さえ持ってしまう。
一方で、「もうケータイ小説ブームは終わったんじゃないの?」という声も、少なからず出ている。ケータイ小説は二〇〇〇年に『Deep Love アユの物語』が書かれてスタートし、『天使がくれたもの』を経て、二〇〇六年に刊行された『恋空』が二〇〇万部の大ベストセラーとなって市場を確立した。二〇〇七年には、文芸書年間ベストセラーランキングの上位三位をすべてケータイ小説を占める事態にまでなった。
しかしそのピークは、『恋空』が映画化された昨年後半だったと思われる。今年半ばごろから、若干状況が変わってきた。まず第一に、書籍の売り上げランキングに占めるケータイ小説の割合はかなり低下してきている。昨年のように文芸書ランキングの上位にずらりとケータイ小説が並ぶというような光景は見られなくなった。加えて、8月からTBS系列で放送されたドラマ版『恋空』も視聴率が低迷しており、さすがの『恋空』も神通力が失われてきたかのように見える。
とはいえ、この市場が簡単に消滅するとは私は考えていない。理由は、電子書籍としてのケータイの可能性が非常に大きいと考えているからだ。
これまでケータイ小説市場は、地方のヤンキー少女という読者層を軸にして拡大してきた。なぜ地方のヤンキー少女だったのかといえば、それはすなわち、いまの日本で地方のヤンキー少女たちが最もケータイを使いこなしているからにほかならない。そこに市場の可能性があったから、市場が成長したのだ。
しかしケータイはいまさら言うまでもなく、地方のヤンキー少女だけではなく、ありとあらゆる層に加速度的に浸透しつつある。まだ都市部に住んでいる三〇代〜四十代、すなわちロスジェネとその上の世代にはパソコンに対する親和性が高く、ケータイを使いこなしている人は案外少ないが(少なくとも私の周囲のIT業界の人たちはそうだ)、彼らにはiPhoneという強い味方が現れた。いまや世の中全員で、雪崩を打ってケータイ(という言い方だとiPhoneが含まれないと感じる人は、モバイルと言い換えてもいい)へと突き進む準備が出来つつあるのだ。
ケータイの電子書籍としての可能性はどうなのか。実のところ、これはもう結果が出ている。インプレスが七月九日にリリースした【調査発表】電子書籍の市場規模355億円。対前年度比約2倍に拡大、うちケータイが7割というリサーチによれば、二〇〇七年の電子書籍市場はトータル三百五十五億円で、このうちケータイが二百八十三億円と約七割を占めている。残りがPDFなどのパソコンによる電子書籍だ。最近、ソニーと松下電器産業が相次いで電子書籍端末から撤退したのを見ればわかるとおり、Kindleが売れているらしいアメリカは別として、少なくとも日本国内では専用端末やパソコンを使った電子書籍はもう「敗戦処理状態」になりつつある。
しかし出版業界には、「ケータイは画面が小さく、文字も小さく、長い小説は読みにくい」「ケータイで文学作品が読めるはずがない」といった見方をしている人が相変わらず少なくない。たしかに従来の小説は、ケータイでは読みにくい。だが一方で、新しい小説ジャンルであるケータイ小説は、ケータイで読みやすいように表現が最適化されている。
つまり新しい革袋には新しい酒……であり、新たなデバイスには新たなコンテンツが必要なのだ。そう考えると、出版業界の人たちは「紙で読む従来型文学」という枠組みに囚われすぎていて、そこから一歩踏み出すことが出来ていない。
これまでマンガやテレビにしか接触していなかったヤンキー少女たちは、二〇〇六年ごろから始まったケータイのWeb2.0化の波の中で、ブログというメディアに触れて、人の日記を読むという快楽を知るようになり、またプロフを通じて、自分の個人的なプライバシーを情報発信するという密かな快楽にも接続した。そうやってブログ文化の洗礼を受けた彼女たちは、『魔法の図書館』などのケータイ小説サイトで、まるで友人のブログを読むようにしてケータイ小説を読み始めた。小説という表現媒体にそもそも親和性がなかったから、彼女たちの多くはそれが「小説である」ということなど意識していない。ただ、どこかの誰かの打ち明け話を聞くように、ケータイ小説を読み進めていったのだ。
そうやってできあがったケータイ小説という表現空間が、これまでの文学とは似ても似つかないものになっているのは当然だ。それはケータイに特化された、まったく新しいコンテンツなのである。新しいコンテンツ分野だから、未熟なのは当然だ。日本のケータイ小説の世界は、テレビゲーム機で言えばまだ一九八〇年代の半ばぐらい、初代ファミコンでチープな画面、チープな音、チープなシナリオで遊んでいたころの市場創生期に近い。
しばらく前、チームラボの猪子寿之社長と話していたら、彼が非常に興味深いことを言った。「家庭用ゲーム機が出てきて初めて、テレビゲームという新たなコンテンツが生まれた。パソコンが出てきて初めて、パソコンのアプリケーションという新たなコンテンツが生まれた。でもいまのケータイは、まだパソコンやゲーム機のコンテンツを流用しているだけで、本当にケータイに特化して進化した固有のコンテンツは生まれてきていない。それをオレはこれから作りたいんだよね」
ケータイ小説も、おそらくはそうやって進化していく。そもそもこのようなデバイスの可能性を持った電子書籍端末が、ヤンキー少女向けの小説しか存在しないというのがおかしな話であって、おそらくはもう少し広い層へと浸透していくはずだ。
ケータイ小説の最大の特徴は、ベタなリアリティだが、これはケータイが「ぼんやりしているときに、のけぞって読むパーソナルメディア」という性質を持っていることに起因する。ぼんやりとのけぞって読むのはヤンキー少女だけでなく、都市に住んでいるロスジェネも団塊の世代も、あるいは高齢者だってみんな同じだ。だったら彼ら彼女らに適合した、新たな「ベタリアリティ」小説がでてきてもおかしくはない
実際、その萌芽はある。たとえば今年前半、魔法の図書館で人気作品となった『戦場のサレ妻』(蓮居くうな著)というケータイ小説。サレ妻というのは「不倫された妻」という意味で、二〇代後半から三〇代前半とおぼしき主人公の女性「空」が、夫「なお」の不倫を知るところから、この物語は始まる。なおが不倫していた相手は、空も知っている女性「めぐみ」だった。この不倫と戦い、離婚を勝ち取るまでが主なストーリーだ。
『恋空』や『天使がくれたもの』のような学園を舞台にしたティーンエージャーが主人公のケータイ小説にはまったく惹かれなかった人たちも、この『サレ妻』を面白いと感じる人は多い。私も非常に面白く、スリリングな小説だと感じ、途中からケータイのボタンを押すのももどかしいほど夢中になった。おそらくは主人公の生きている世界が、少なくとも『恋空』のような学園よりは自分の生活圏に近く、そこに自分と近いところにあるベタなリアリティを感じることができたからだろう。つまり小説として完成されているかどうかよりも、自分の圏域と近いかどうかの方が大切なのである。
主人公の空が、親友の裕子に協力してもらい、夫の不倫現場を証拠として押さえるために写真を撮影する作戦に打って出る場面がある。現場に向かった裕子はラブホテルに二人が入るのは確認できたが、瞬間の写真は撮影できなかった。そこでホテルから出てくる撮影を待ち伏せして撮影するため、空は「すぐに帰ってきてほしい」というメールを夫のなおに送る。
空「仕事中だった?」
……10分たっても返事がこない。
まだ最中なの? めぐさんと絡み合ってるの?
ねえ、なお、返事ぐらいしてよ……。
空「仕事中にごめん。連絡欲しいんだけど。無理なの?」
少し意地悪に書いてみたら返事が来た。
なお「どうした?」
(中略)
空「鼻血が止まらないんだけど、どうしていいのかわからないんだ!」
なお「わかった、切り上げて帰る」
空「どれぐらいで帰ってくる?」
なお「40分」
空「わかった。待ってる」
旦那のメール?
仮に旦那からのメールだとしても、めぐさんも画面を見ている。
いつもの旦那のメールじゃない!!
見てるだけ? それともめぐさんが打っているの?
そうして20分後、夫から今度は電話が帰ってくる。冷たい調子のメールとは大違いで、夫の声は優しさにあふれていた。
なお「空ちゃん、これから帰るよ―」
さっきのメールとはえらい違いだ。
空「仕事中にごめんね」
なお「鼻血はとまったのかい?」
空「うん、今は出ていないけど出たり止まったりしてる」
(中略)
なお「最近、食欲ないのはおかしいぞ!」
空「それよりさ、運転中なら危ないから切ったほうがよくない?」
なお「だな。もう少しお留守番お願いね」
空「気をつけてね」
なお「オッケ。なあ、空……愛してるよ」
空「アホ! 早く帰ってきな! 切るからね!」
なお「あははは!」
……ツーツー……。
そっか……。
今までの旦那のやさしさは、後ろめたさの裏返しだったんだ。
私、馬鹿だね。
長い時間夫婦やってて、見抜くことできなかったんだ。
全部うその塊だったんだね。
でもね、でもね……。
そのやさしさが本当にうれしかったんだよ。
こういうベタな描写は、おそらく普通の夫婦生活を送っている人にも変にリアルな感じがするはずだ。「あ、こういう会話あるある」というリアリティである。そしてそれがまさしく、ケータイ小説的リアリティだ。
おそらく将来的には、「派遣社員のベタなリアリティ」「ネットベンチャーでこき使われている社員のベタなリアリティ」「中年管理職のベタなリアリティ」「世間に不満だらけの年寄りのベタなリアリティ」といろんな層にターゲッティングされたベタなリアリティ小説が現れてきて、そういう小説をわれわれはぼんやり電車に揺られていたり、トイレに座っている時にケータイという「のけぞりデバイス」で読むようになるのではないか。
明日配信の『佐々木俊尚のネット未来地図レポート』は、ブランドストリームという新しいことばについて解説します。ソーシャルメディアによって、いまや消費者はマスメディアの広告からではなく、友人や知人のクチコミでのみ商品を選択する時代になってきました。そのような時代においては、ブランド戦略をこれまでのようにマスメディアの上ではなく、クチコミが流れるソーシャルメディアのコミュニケーションにうまく載せることが必要になってきています。その概念を説明するのが、ブランドストリームです。
なお9月の配信は、いまのところ次のようなスケジュールで予定しています。
9月15日 テレビのプラットフォームは誰が握るのか
9月22日 ノマドという新しい時代の働き方がやってきた
9月29日 ネット・オークションというビジネスモデルの終焉
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※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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